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1.作品について

描かれている内容
カスピ海東部から太平洋に至るまでの広大なユーラシア大陸北東部(タルタリア)と東アジアが描かれています。中央アジアの広大な砂漠地帯、中国(大きく誇張された「万里の長城」が特徴的)、インド北部(ガンジス川流域)、シベリア、そして東端の日本列島が含まれます。内陸部にはマルコ・ポーロらの旅行記に基づいた古い説明文(伝説のチアマニア湖など)が散見され、当時のヨーロッパ人のアジア認識を網羅しています。

サイズと技法

地図寸法(プレートマーク): 約 44 cm × 54 cm 前後(シート全体で約 52 cm × 59 cm)。

技法: 銅版画(エッチング/エングレービング)。当時の富裕層向けに手彩色(水彩)が施されており、右上には2人のプット(天使)があしらわれた美しいバロック様式のカルトゥーシュ(飾り枠)が配置されています。

 

2.作者について

フレデリック・デ・ヴィット(Frederik de Wit, 1629/30–1706)
17世紀後半のオランダ・アムステルダムで最も成功を収めた地図製作者・出版業者です。彼は自ら未開の地を測量する探検家ではなく、最新の地理情報を編集して商業的に出版するプロデューサーでした。ライバル企業の倒産時に銅版を買い取り、情報をアップデートして流通させるビジネス手腕に長けており、「地図を美しい美術品」として昇華させたことで知られます。

 

3.時代背景について

オランダ地図製作の黄金期(17世紀後半)
当時のオランダはオランダ東インド会社(VOC)を通じて世界貿易を支配しており、アムステルダムは世界最高峰の地理情報と地図製作技術が集まる中心地でした。

未知のアジアへの探求
この地図が制作された1680年頃は、ヨーロッパ人にとってシベリアや中央アジア(タルタリア)は依然として謎に包まれた土地でした。デ・ヴィットは、1692年にニコラス・ウィッツェンがより正確なシベリア地図を完成させる直前の、「当時における最高レベルのアジア情報」をこの1枚に反映させています。 

4.描かれている日本について

「YEDSO(蝦夷地)」の描写が放つ圧倒的な存在感
この地図における最大の注目点は、本州の北側に描かれた巨大な「YEDSO(蝦夷地・現在の北海道)」です。本州と地続きのように見えるほど巨大な大陸状、あるいは独立した巨大な島として浮遊するように描かれています。

地理的知識の過渡期を証明する資料
これは、1643年にオランダの探検家マールテン・デ・フリースが北太平洋を航海した際にもたらした不完全な測量データ(当時は北海道をアジア大陸の一部、あるいは千島列島と混同していた)をそのまま反映しているためです。九州や本州の海岸線がポルトガルやオランダの航海士によって徐々に正確になっていく一方で、「北の北海道はまだ全貌が誰もわからない未知の領域だった」という、当時のヨーロッパ人のフロンティア精神と知識の限界を雄弁に物語る、歴史的に極めて興味深い描写となっています。

Tabula Tartariae et majoris partis Regni Chinae, Frederik de Wit, 1680

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